トランサーフィン16日目『信念』と母との関係


今日は“信念”がテーマです。でもトランサーフィンにおける信念は、一般的な『強く信じる』とは少し違うようです。

 

「ある信念に従えばその信念は腹落ちする。」と言う文章から始まるのですが、

これは、“トランサーフィンが機能することがわかれば、それを信じる必要すらない。”と言うことのようです。


【私は願わず信じず期待しない。私は意図する。そしてそれは叶うと知っている。】


「意図でゴール」に何の疑問もいらないということですよね。これを“信念”と呼んでいいのかは正直…

でも、これで創造の力を自由に使える状態というわけです。


仏教が説く「無執着」は、願いや期待すら手放し、“空”にとどまることが究極のゴール。

一方、トランサーフィンは「意図する=行動を含んだ創造の力」として、それを積極的に使う。

 

トランサーフィンの教えは、“願わず信じず期待しない”ただ手放すのではなく、ちゃっかり意図だけを静かに発動する。

仏教が「無為自然」によって悟りへ向かうのに対して、トランサーフィンは「期待せず+意図する」によって、望む現実を創造する。

 

トランサーフィンを利用して願望実現と言う意味では、16日目で、かなり本質なところに来ているのでは?

 

 

 

 


さて、私実はものすごい振り子にやられていました。

実母との大喧嘩。

母はもともと思い込みが激しい人だったのですが、高齢になってさらに過激に私の地雷を踏み抜いてくれました。

 


私が長年悩んでいることをいとも簡単に上から目線でアドバイス

彼女に何か知識があるわけでも、経験があるわけでもなく、私としては具体的に相談することはなかったのですが、「新聞で読んだ」というリソースで諭してきたのです。母なりに私を心配してのことだというのはわかっています。

 


簡単に受け流すことができず、完全に振り子にやられた私は、頭に血が上り憤り反論しました。が、かと言って彼女が何か打ちのめされるわけでもなく(なにしろ新聞で読んだことがすべての知識でそれが正義なので泣)

 

私はその後も気持ちが立て直せずに過ごす羽目になりました。

まともに取り合わなければ良かったのですが、

母娘って面倒ですね。

 


呼吸に意識をした瞑想をしたり、お香焚いて、掃除もしてYouTubeで大祓祝詞まで流しましたよ笑。

やっと今気づきの中心点に戻ってくることができました。

 


そんな私が今日、何度も、目に耳に入って来た言葉は、

“今までの延長線上で物事を考えるというのが既におかしなことで、現在は現在でしかないと言うことに気づきなさい”

でした。

 


今の私は今でしかなく、私が地雷だと思っていることすら、今の私には関係のないことだと気づきました。

 


母についても、今の私に必要な存在であれば良き存在として、今の私と距離があってもいいのならば自然と離れるということもあるのでしょう。

そのやり方はやはり【感謝】しかないのだろうと直感的にわかります。

 


今日のレッスンを生かすとするならば、

このまま母といがみあうつもりは全くないので、「良好な関係で距離を置ける」を意図する。

それは叶う・叶わないではなく、「そういう未来が当然でしょ」という信念、ってことかな。

 

実践をリアルをお届けしています笑