トランサーフィン21日目「判決を下す」と推し活での気づき

人生において、何が正しくて何がそうでないかを決めるのは、他でもない自分自身。

私は私の現実の決定者。

自分で「判決」を下す権利があるのです。

 


では、何を信じればいいのでしょうか。

 

人生は鏡でしたね。

 


他人の判決を受け入れる側でいるのか、自分で判決を下す側になるのか。

それを決めるのも、やはり自分自身で。

なぜなら、私は私の現実の決定者だから。

自分のビジョンを物理的現実として創り出せる。

 


ただし、ひとつ条件があるとすれば、

昨日書いた「トランサーフィンをする上での条件」、つまり魂と理性を一致させることです。

ここは大事。

 


「私が選んだから間違っていない」と穏やかにいられるようになると、他人の評価や不安に揺れにくくなるのかもね。

 

 

 

 


少し、私の推し活の話をしてもいいですか?

先日、推しについてのネガティブな感想をXに書き込みました。

もともとネガティブな意見を撒き散らすことは好きではなく、「こんなこと書いていいのかな」という思いと、「一度吐き出したい、モヤモヤする」という気持ちのはざまで、投稿してしまったのです。

 


しばらく「やはり読んだ人の気分を悪くさせてしまうかも」と迷いながら、そのままにしていました。

するとレスがついたんです。

 


「推しについてこういうことを書き込むあなたは害です。早くファンを降りてください。」

 


読んだ瞬間、あ〜、やってしまったな…と思いました。

そして気づいたんです。ネガティブなことを書き込んだ私と、それに反応した相手は、まったく知らない相手を不快にするという意味で同じ波動レベルだと。

相手は私に同調してしまったんですね。

 


さらにもう一歩考えると、相手は私が映し出した“私自身”だったのではないかということに思い至りました。

「これは早く引っ込めたほうがいい」

心の奥底にあった言葉を、相手が代弁してくれた。

 


まさに鏡です。

 


このおかげでこの件では

“魂と理性が一致”できた気がします。

 


日々是気付きです。