今日のテーマは自信。
「目標を絶対に達成しなければならない」と思えば思うほど、不安が増し、エネルギーを奪います。いわゆる“りきむ”状態とも言えますね。無駄にチカラが入っちゃうと、碌なことない。
“そこから抜け出すには、戦うこと自体をやめること。”というわけです。
物事の重要性を手放すと、迷路の壁が崩れ落ちる。重要性を手放せば、重要性に振り回される事は無い。
となると上手に手放す方法知りたいですよね。
「完璧なコーディネーションとは、魂と理性が調和していること」
ただ1点これを目指すだけなんです。
そうだ!また振り子にやられてる!!と
過剰ポテンシャルに気がついてしまえばいいのね?
以前私は疑問を持っていました。
「自分には価値があると思うこと」と「物事の重要性を手放すこと」に矛盾は生じないのか。
でも“魂と理性が一致している”気づきの中心点で見てみると「物事」に重要性は求めなくなるもの。
振り子の仕業を視点を上げてみることで解決する。
つまり!矛盾はない!!!
私のトランサーフィンの理解も深まっているようです。
これは以前note に書いたものですが、
仏教に無我(アナッタ)という教えがあります。
「自分」という固定した価値や定義に執着しないと自分を証明しようとする必要がなくなり自然体で生きられるという教えです。
• 無我(むが):日本語の仏教用語。
• アナッタ(anattā):パーリ語(原始仏教で使われていた言語)。
・サンスクリット語では「アナートマン(anātman)」。
どれも意味は同じで、「固定された“自分”という実体は存在しない」という仏教の根本教義のひとつです。
「無我(アナッタ)」と書いてあるのは、「無我=アナッタ」という意味の説明なんですけど、
「無我(anattā)=“自己は存在しない”」という教えなのに、その言葉が「アナッタ(anattā)=あなた」みたいに聞こえるの、ちょっと面白い。
実際の語源的には、
「アナッタ(anattā)」はパーリ語で
an(無い) + attā(自己)
→ 「自己がない」という意味です。
「無」+「我」と同じですね。
でも日本語で聞くと、音が「あなた」に似ているから、「自己がない」という教えに、
まるで「あなた(わたし)」を指されているよう…
日本語ってほんとおもしろい。