憂鬱なイベントのその後

以前の記事で「雨で中止になる未来?それとも楽しい思い出になる未来?」と書いたイベント。

結果は、

やっぱり雨で中止になりました。

 


けれど、そこに至るまでがちょっと面白かったのです。

 

 

私は2年近く足を痛めています。激しい動きはできないことを最初から伝えてありました。

そのため「衣装は着ない」という約束で参加するはずでした。

 


ところが直前になって「やっぱり衣装を着てほしい」と言われたんです。

「でも衣装を着たら、いつも以上に動けませんよ」とお伝えしたところ、「座っているだけでいいから」と。

 


そこで、想定外の「衣装を着て参加する」という未来が立ち上がりました。

これは私の意思ではなく、スタッフであることをわかりやすくするための、周囲の配慮でした。

 

 

そのとき、「世界線が動いた?」と感じました。

最初のシナリオにはなかった衣装を着る未来。

けれど最終的には雨で中止に。

これは、私の最初からの「台本」どおり。

 


結果として「衣装を着ないで中止」ではなく、「衣装を着て準備したけれど中止」という少しずれた未来を通過して、結末は同じ「中止」に戻ってきたわけです。

 


この流れ。

「えっ、話が違うじゃない!」と振り子に反応してしまえば、心はざわつきます。

でも私はただ「世界線がずれた」と眺めることを選びました。

私は気づきの中心点に意識を置き、振り子に巻き込まれないようにしていました。

すると「なるほど、そう来たか」と自然に受け止められたんです。

 

 

自分の意思でなく、他者によって世界線が変わる。

でも最終的には、自分が最初に描いた台本へと収束していく。

 


この出来事は、「一度シーンが書き換わったのに、結末は予定どおり」という不思議な体験でした。

 

流れを冷静に観察できると、心は振り回されないという実験ができました。

 

 

 

次回

このお盆には伊勢神宮に行ってまいりました。

その体験から得たことも、また次の記事で書いてみようと思います。