少し前に夫がコロナにかかりました。
ちょうど彼には海外出張の予定があったのです。
その話を聞いたときから、なぜか、どこかで「行ってほしくないな」と感じていました。
はっきりとした理由はなかったし、仕事のことなので、できるだけその気持ちには触れないようにしていました。
この数日前にX(旧Twitter)で見たあるポストが、ずっと心に残っていたのです。
旅行前にインフルエンザにかかった人が、無理して海外へ行った先で事故に遭ったという話。
それを読んだとき、私はふと思ったのです。
「この方のインフルエンザは、ご先祖様から行くなっていうサインだったのかもしれない」って。
この時はまったくの他人事です。
そして夫にも発熱の兆候が出始め、検査の結果コロナ陽性。
え?ええ?
出張は当然キャンセル。
私は子どもの頃から、こういう「なんとなく」がよく当たります。
いわゆる“勘がいい”タイプなのかもしれませんが、それを特別な能力だとは思っていません。気がつかなければよかったと言う経験も度々あるもので。
誰もが持っている“第六感”のようなものです。
日本人には、こういう“なんとなく”をキャッチしやすい文化的な素地がある気がします。
たとえば、「空気を読む」という感覚。
言葉にされていないことを察する力。
日本では昔から、「言わぬが花」「以心伝心」など、言葉よりも“感じ取ること”を大切にしてきました。
禅や武道の世界でも、「型」を繰り返す中で生まれる“感覚”を重んじますよね。
頭で考えるよりも、身体で感じるような。
そういうことを総合したら『直感』とは、特別な力じゃなくて、文化の中で育まれた、知性とも言えるかもしれない。
今回のことはタフティ的視点で言えば、こっちの台本に移動したということになるんだけれど、
だとすれば、「なんとなく感じた」ことは、ただの気のせいにしないで
台本書き換えに使っていけばいいということになりますよね。
熱で苦しんでいる夫を横目に
noteに読みたい記事を見つけカード情報を入力。
【このカードはご使用になれません】
・・・?どうして?いつも使ってるカードなのに。
カード会社のアプリを見ると、
前月分の引き落とし、カード引き落とし用の口座の残高が足りずにお知らせが来ていました!
慌てて入金して事なきを得ましたが、
夫「オレ、出張に行ってたらカード使えず海外で路頭に迷うところだったってこと?」
私が持っているのは家族カードなので、そうなりますね(笑)
おあとがよろしいようで。