「なりきる」から始まるタフティの鏡メソッド

今日はタフティのレッスン25〜26

また一段と「鏡」の話が深くなってきました。

 

現実というのは、映画でもあり、同時に鏡でもある。

そう考えると、とても分かりやすくなります。


わたしという存在が、鏡の向こう側とこちら側に、同時に存在している。
だから、「こうなったらいいな」と思う自分を、

すでに叶ったかのような感情でそうなったふりをすることで、それが現実になる。

現実というのは、じわじわと自分の“思い込み”と同調してくるようになるというのです。

 

ポジティブなこともネガティブなことも、すべて自分に返ってくるというのが

鏡の法則

 

「私は鏡の中にも、外にも、同時にいる」
「現実が鏡であること自体が隠されている」

これ、すごく面白いと思います。


自分の意志をもって作った“映像”が、鏡に映されていて、それをまた“本体の映像”として戻す…
…って、こうして言葉にしてみるとすごくややこしいけど、感覚的にはわかる気が...しないでもない...

 

なりきった私を鏡に映す。

すると鏡に映っている私が、すでに“なっている”。


その「なっている私」が、現実という映像として現れる。

これで“同調”が起きるんだそう。
ほんと、パラドックス。どっちがリアルかわからない。

 

タフティのいう「映像」とは、自分の思考や行動のこと。


鏡に映っているのは、自分自身であり、自分の環境であり、今この人生そのもの。

 

そして、「自分が発信したメッセージ」によって映像がつくられていく。
見せかけだとしても、「そうであるふり」が鏡に映る姿を構成し、やがてそれが現実になる。

 

「持っているふり」をすればそれが得られ、
「その人のふり」をすれば、自分がその人になる。

 

大前提として、これは“ゲーム”。だけど、ちゃんと真剣にプレイするべきゲーム。

 

映像が鏡に映って、その鏡に映ったものがまた映像として取り込まれていく。
これは循環?

 

 

 

まとめると、鏡の使い方って2つあるんだなってわかりました。

 

ひとつ目は、レッスン21あたりで出てきた「与えたものが返ってくる」というもの。
「ちょうだい、ちょうだい」と言えば、「ほしい」という状態が現実化されちゃうから、
「与える、与える」ってやってると、自然と循環が起きるっていう。

 

そして、今回の2つ目。
「鏡に映ったものが映像主体に取り込まれる」という話。

見せかけであっても、なりたい自分を“フリ”してみせる。
すると、鏡に映ったその姿が反射を生んで、やがて現実になる。

 

ここでタフティのアドバイスは明快!

1つ、真剣にゲームに取り組むこと。
2つ、ゲームに一貫性を持たせること。

 

行動できることは全部やりましょ。
いくら夢を見ても、ソファに寝転んでるだけじゃ現実は動かないってタフティにも言われちゃってます。


でもね、現代社スマホひとつでできることもたくさんありますよね。

まずは右手人差し指でポチッと一歩を踏み出すだけでも。

 

そんなことを考えていて、ふと

 

「あれ?わたしは、何のフリをするんだろう?」

 

ここに一貫性がないと、うまく振る舞えない。

 

 

タフティメソッドの最終目的って、きっと
「現実を自分で創造すること」、
「台本から解放されて、自分自身の映像をつくること」なんだと思うんです。

そのためには、やっぱり、自分の深掘りが必要なんですよね。

 

 

私の使命は何?なんて結局誰も教えてはくれません。

何のために生まれて何をして生きるのか

わからないまま終わる、そんなのは嫌だ~

思わずメロディがついてしまいそうです。


私は星読みなので
使命というと大げさだけど。

「それをすると幸せな気分になれること」が出生図から読み解けます。

 

自分のことになると考え過ぎちゃうんですけどね。

たぶん私はこんな風に精神世界のことぐだぐだ考えてるのが好きみたいです。

 

今日はタフティメソッドのフリをすることについてでした。
「願望実現」「引き寄せの法則」にも同じようになりきる手法が語られてはいたのですが、より解像度が上がった感じがします。