誰かのためが、自分のためになるという学び。

こんにちは。

今日はタフティ・ザ・プリーステスのレッスン23と24あたりのお話です。

 

 

鏡の法則についてはタフティが語るメタパワーと鏡の向こう側の仕組み

の投稿で触れていますが、今回は現実の持つ「鏡のような性質」について。

 

「その鏡に何が映っているのかを見て、それに対してどのように行動するかを選んで行きます。希望を叶えたいと思うのなら、自分が欲しいと思っているまさにそのものをほかの人に与えるのです。」

 

自分が「こうなりたい」「これが欲しい」と思うときには、まずその思いを他の人に向けて与えるのが鏡の性質を利用すると言うことなんです。

 

 

この「先に与える」という姿勢こそが、このメソッドの中心なのです。

 

 

自分の欲しているものを 

誰かに与えることがタイミング良くできるだろうか?

それにもちろん、自分が欲しいと思っているものを、そっくりそのまま誰かに与えることが適切な場合ばかりとは限らない。

似たような何かを与えることはできるかもしれないし、それも難しければ、まずは何でもいいから与えてみる、でいいみたい。

見返りは求めずに!!

 

当然そこを利用されてしまったり、損をしたように思うこともあるかもだけど

それもきっと必要なプロセスなのでしょうね。

 

「与えれば与えられる、って、そんなに単純な話なの?」とか、
「なんだか表面的に理解しただけで終わってる気がする…」とか。

そんな疑問は見ないフリして進みますよっ

 

 

 

私たちは現実を構築することはできても、他人を作り変えることはできません。

だからこそ、鏡の原理を思い出しながら、人と関わっていくことも大切なのかなって思いました。

 

 

タフティはこうも言っています。
「自分の価値を感じたい、自己実現したいという願いは、他人のためになるときにだけ成功する」

 

一見すると唐突で極端にも聞こえるけれど、「自分のためだけに」ではなく、「誰かのためにもなること」

そんな視点を持てているかどうかが、実は大切なのかもしれません。

他人の自尊心を傷つけないように尊重し、相手が自己実現できるような場をつくる。

そうしていく中で、自分自身の願いも自然と叶っていく。

 

 

見返りを求めず、まず自分から与える。
鏡の法則でそれが映し出されるという考え方は理論的でわかりやすいけど、

誰かのためにもなることがめぐりめぐって、

ゴールのコマに自然とたどり着く道になる、という考え方がわたしは好きかも。

 

仏教でいう「利他」の精神にも通じるものがあるなと感じています。

「利他は結果的に利己に通じる」とも言われています。
誰かを思ってしたことが、めぐりめぐって自分を満たしていた。
そんな体験が、ふとした日常の中にも見つけられるようになるといいなと思います。