今日はちょっと休日っぽい話題を。
朝、仏壇にお線香をあげるとき、私はその煙をぼんやり見つめるようにしています。
某仏教の瞑想のまねごとですが、ふわりと立ちのぼる香りと煙のゆらぎに、視線をゆだねていると、心が静かになるのを感じます。
歯を磨くときや、ドライヤーで髪を乾かしているとき、お風呂では湯船につかってぼーっと水の音を聞いたり。
そんな時間を私にとっての「マインドフルネス」の時間にしています。
忙しい日常の中にも、“今ここ”を感じられる瞬間は意外とたくさんありますね。
たとえば、買い物の往復の移動に、歩くことに意識を向けるだけで、
足の裏に地面を感じ、風や光に気づきます。
思考よりも、感覚で過ごす。
日常でのそんな心がけをすることで、穏やかに自分を整えています。
ところで、ふと思うのです。
私が推しを見ているとき、あれって完全に“今”を生きているんじゃないかと。
ライブ映像を見ているとき。配信動画で笑っている時。
その間、私は「昨日の失敗」や「明日の不安」なんて一切考えていません。
ただそこにいて、笑って、胸があたたかくなって、感情がわき上がってくる。
それって、マインドフルネスで言う「今ここ」に意識を置くことと、似ているのではと思うのです。
でも、ずっとそのままでいられるわけじゃなくて。
ふと、「いつまでこの気持ちを保てるんだろう」と思ったり、
「またグッズを買っちゃったな…」と、お金のことがよぎったり。
時間やエネルギーをどこまで注いでいいのか、
自分の中にモヤモヤが生まれる瞬間も、正直ありますけどね。
マインドフルネスというと、難しい瞑想や時間を取る習慣のように思われがちかもしれません。
でも、本当はそんなに特別なものではなくて、
ただ「いま、ここにいることに気づく」だけでいい。
禅の言葉にも「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。
意味は「ただ、坐る」。何かのためじゃなく、ただ在ること。
推しを見つめるときの「ただ、楽しい」のも今を感じる練習です。たぶん。笑
“今ここ”にいられる瞬間は、どんな時でしょう?
推し活について触れましたが、対象は「推し」とは限らずです。
心がふっと軽くなるとき、あたたかくなるとき、
それは何かを「味わっている」瞬間。
“今ここ”を深く感じること、おすすめします。