三つ編みの映写機と信じられる未来の少し先へ

 

今朝も目が覚めてすぐ、「三つ編み」を意識してみました。
気づきの中心点に意識を集中すること位しかできていませんが。

 

背中から斜め上に、そっと三つ編みを起動させて、その感覚を保ったまま現実を構築していく――
まるで映写機のように、未来のコマを照らしてスクリーンに映すような感覚。

この「三つ編み」は、タフティから教わった方法です。

正直なところ「引き寄せと何が違うんだろう?」と半信半疑でした。
でも、やってみるうちに少しずつ分かってきた気がします。

 

引き寄せの法則では、自分の中(脳内)で願望を思い描くことが多いですよね。
それってつまり「内部センター」を使っている、ということなのだと思います。

 

でも、タフティの方法は「外部センター」を使うのです。
この違いがとても大きい。

 

今まで私は、「想像することは脳の中で完結するもの」だと思い込んでいました。
でもそれも、ただの固定観念だったのですね。
そう思い込んでいる自分こそが、まさに「台本どおりのマネキン」だったのかもしれません。気をつけないと、です。

 

日常生活のなかで、三つ編みから未来を映すように「外部に向けて想像する」という練習を始めています。

 

現実というのは、「自分が信じられる範囲」でしか構築できないのだそうです。
ですから、想像していても「それは無理」「現実的じゃない」とどこかで感じているうちは、コントロールがうまくいかないのです。

 

とはいえ、「今の自分にとっての現実」がすべてではないですよね。
むしろ、まだ知らない世界や、ちょっと先の未来に触れてみたいからこそ、こうして意識を使って現実を整えているのです。

 

私は最近、「完全に信じきれなくても、ちょっとワクワクする未来」をスクリーンに映してみる練習をしてみています。


たとえば、

推しと、まさかの距離感で自然に笑い合っている自分。

思いがけないチャンスに驚きながらも「やっぱりこうなったか」と静かに喜んでいる自分。

南の島で風に吹かれながら、海の音をBGMにブログを書いている自分。

 

それとね、私の読者さんに「ありがとうございます!」って言ってる自分。

こういうことって、どこかで「現実的じゃない」と思ってしまいがちですが、
むしろ「それ、楽しそう!」「あったら素敵かも」くらいの軽やかな気持ちでイメージしてみると、三つ編みの映写機もふんわりと回り始めるのかも。

 

ネット環境さえあれば、今はどこにいても発信できる時代です。
身体はここにあっても、意識はどこへだって飛んでいける。
だからこそ、今の延長線じゃない未来を描くことも、決して夢物語ではないのかもしれません。

 

大きな未来を想像すること。
その想像を「現実になりうる一歩」として、軽く受け入れてみること。
それが、現実創造の扉を少しずつ開いてくれるような気がしています。

 

 

結局のところ、自分の世界観にフィットしたことだけが、現実として立ち現れるんでしょうね。
だからこそ、三つ編みの起動は私にとってはとても楽しみな時間になっています。