私たちは子供の頃から悪いことをしたら、必ず罰せられると刷り込まれてますね。
しかし本には『あなたの人生を台無しにしてしまうので、少しでも罪の意識に気づいたら、すぐにそのゴミを捨ててください。』と書かれています。
どういうことでしょうか?
“罪の意識がなければ罰は無しです。”
とは?
そんな恐ろしい!どんな悪人も、罪の意識がなければ罰せられないってこと?
いえいえ、そうではありません。それはあくまでも外側で起こっていること。ここで言う罰は“外的な裁き”ではなく、自分の内側で起きることの話です。
「罪悪感がどうしても拭えないなら、まずは自分を正当化することをやめる」
と書かれていますが、何でも比べたがる私としては正しいことと正しくないことを比べないの意味なのではと理解しました。
誰に対しても正しさでジャッジしなければ罪悪感は存在しなくなる。
仏教の唯識思想(ゆいしきしそう)とは
外の世界に実体はなく、すべては心の働きによって現れているという思想です。
外界があるように見えるのは、心がそう認識しているからにすぎない。
世界は客観的に“ある”のではなく、主観的な認識の中にある。
つまり、「人間は、世界そのものではなく、“自分の心が映し出した世界”を見ている」とする考え方。
だからこそ、罪悪感というのも“心が作り出した映像”にすぎないのでは?
今日の【罪悪感】もそれに含まれているようです。
今日も私の実践編です。
ものすごく丁寧にやってきた企画があるんです。なので、私は人間関係も潤滑に行くように努力をしてきました。ところが外部から形を変えた方がうまくいくのではないかと話が上がって。今このタイミングでそれを言うのはやめて欲しい泣。
昨夜はなかなか寝付けませんでした。
登場人物は全て善意の人たち。
私は私の想像できる最高のゴールを設定する!
ただ…最高のゴールを頭の中で考えてぐるぐるして、力技で着地をさせるのは違う気がするんですよね。それは過剰ポテンシャル発動しそう。
上からすとんと落ちてくる感覚を信じたい!
というわけで今日も整えています。