今日のサブタイトルは「神の子」です。
「私たちは一人ひとりの中に神のかけらを宿し、源と常につながっている存在である」
スピリチュアルを学び始めた頃、この考え方を初めて知ったとき、とても腑に落ちました。
私たちの人生は魂が成長するために選んだストーリーであり、それは神が創造主として書いたもの。
そう思うと「今の出来事もすべて意味があるのかもしれない」と感じます。
本の中には「神はただ望むものを手に入れるだけだから、必死に追い求めてはいけない」とありました。
願いをがむしゃらに掴みに行くよりも、ただ「気づきの中心点」に立ち返るだけで、本来のゴール以上のところに運ばれていく。昨日の内容につながります。
そういえば、スーパーでレジに長蛇の列ができていても、あまりイライラしないことにしています。
「新人さんかな?誰でも新米の時代はあるしね」
「おっと、このラグがあったから買い忘れを思い出せた」
「レジの人の丁寧な接客、すてきだわ〜学びがあるなあ」
…なんて具合に。
それから、電車を一本乗り遅れたこともありました。
「ああ、遅れちゃった…」と思ったのも束の間、ホームで昔の友人にばったり再会。
これ、私よくあるんですよね。
起こる出来事は、やっぱり全部必然なのかもしれません。
これはタフティのアドバンテージメソッドに近い感覚です。
一見ネガティブに感じる状況でも、そこにプラスの要素を見つける。
そうやって「困った出来事=実はギフト」だと気づくことで、少しずつ流れに乗る習慣へと変わっていくのかもしれません。
人生の真の目的は「神に仕える」というより、「神と一緒に創造していくこと」なんだそうです。
だからこそ、自分のゴールを思い描くことも、神と共に新しい物語を書いていくことにつながるのだと思います。
しょっぱい日常も、実は神の味付けかもしれないですよね。
そう思うと、今日のちょっとした出来事も、全部「必然」なんだなって思えてきます。
さて、今日はどんな“味付け”があるんでしょう。